52. 居ても立っても居られない

ライブ!

神戸へ

九月にたくさんライブへ行き、十月は東北ツアーが組まれていて

関西では京都磔磔でのゲスト出演はありましたが、

ソロは無かったし、ちょっと疲れていたのでライブの予約はしていませんでした。

ある日、憂歌団の島田和夫さんの訃報が入りました。

とても悲しいお知らせでした。

島田和夫さんの生演奏は春一番で、木村さん以外のメンバーと演奏しているところを一度みました。

お葬式の情報を知りました。

神戸の東極楽寺でした。

喪服を着てファンの方と行きました。

出棺前に「最後ですから、どうぞお顔を見てあげてくださいね」と、

言ってくださいましたが、お寺の中には入らず、

お寺を挟んだ歩道でたくさん来ていたファンの方と並んでお見送りをさせていただきました。

天草へ

2012年10月8日(月) 熊本田天草市 丸尾焼 展示室 木村充揮 LIVE

お葬式後にあった京都磔磔のゲスト出演のライブは行ってませんでした。

ファンの方たちと木村さんの心は大丈夫かなと心配していました。

関西ライブはまだまだ先だしどうしようと思いました。

わたしが心配しても仕方のないことですが居ても立っても居られない気持ちでした。

ライブ友達からも木村さんの様子を教えてと言われました。

わたしもどうしても木村さんの様子が見たくて、急遽、熊本県天草のライブを予約しました。

急でしたので、家族は驚き止めました。でも、わたしはどうしても行きたいと言いました。

わたしがライブへ行き過ぎるので家族会議も行われました。

自分でも行き過ぎだなと思っていたので、もう少し行くのを減らすと言いました。

でも、今回天草のライブには行きたいと言い、納得してもらいました。

ライブの予約をして、宿泊先を探しました。

なるべくお安いところを探し、素泊まりでたぶん当時2,000円ほどのゲストハウスが見つかりました。

ライブ会場からも近かったので、そこに予約を入れました。

この時点で、天草は熊本県にあるということしかわかっていませんでした。

あの有名なくまモンのことも知らずに、熊本駅ではじめて知りました。

新幹線で熊本県まで行けば、すぐに天草に行けるものだと思っていました。

本当に小心者なのに、大胆というか、適当というか、アホというか。

熊本に着いてから、天草ってどうやって行くのかな??って感じでした。

歩きか、市バスに乗ったら着くのかな?と、観光案内所へ行きました。

そしたら、ここからバスで更に2時間かかると言われました。

えーっ!!と、絶句。

そして、早めに着いていて良かった~と、安堵しました。

バスに揺られて2時間、有明海の横を走り、車窓から海の景色がパーっと広がります。

ずーっとずーっと海を見ながらのバス旅は最高でした。

はじめて行く天草。期待と不安が入り混じりました。

天草(本渡)バスセンターに到着したのを覚えています。

そこから、まず予約したゲストハウスへ向かいました。

てくてくと歩くと町中に木村さんのライブのポスターが貼られていました。

町中をあげてこのライブを応援しているのが伝わりました。

今回、このブログを書くのに、久しぶりに泊まったゲストハウスを検索してみました。

ゲストハウスの名前も忘れてしまいましたが、ありました!

懐かしく、嬉しかったです。当時、写真も撮っていたはずですが、携帯電話を機種変更したので残っていません。でも、かすかな記憶がゲストハウスのホームページを見て蘇ってきました。

一軒家のゲストハウスで、わたしが泊まった部屋は和室で鏡があり、ベッドではなく布団でした。

昭和の和室です。お風呂は共同で時間帯も決まっていました。

お風呂場へ行く手前に段があり、つまずいて転び足を打ち痛かった思い出があります。

ひとりで寝るのはちょっと怖いなぁと思いましたが、素泊まりでお安くて、

ライブ会場からも近いし、その当時のわたしにはちょうど良かったです。

夕方になり、ライブ会場へ行きました。

丸尾焼が展示されている、立派な建物でした。

中に入ると、たくさんの人達が集まっていました。

ライブ用のお料理もあったと記憶しています。

展示されている丸尾焼をゆっくり見て、席へ着きました。

「またこんな遠くまで来て」と思われるやろうなぁと思いつつ、

今回は木村さんから見えない位置に座ろうと思っていましたが、

最前列が何席も空いていたので、右端の最前列に座りました。

ライブがはじまり、木村さんが登場しました。

いつもの木村さんでした。

わたしを見て一瞬びっくりしてはりました。

そして、「形ちゃうやんな!」と唐突に言いました。

木村さんがライブで唐突に言葉を発することはよくあります。

前後の繋がりがないので、意味不明なんですが、何か伝えようとしているのはわかりました。

木村さんは受け取る相手が好きなように取ったらいいという考え方をされるので、

その言葉を今も大事に覚えています。

わたしはライブに通いつめ、ずっと木村さんを見てきたので、

木村さんの表情や目の動きで

木村さんの感情を少しは感じ取ることが出来ました。

ライブでは、呼吸で次に何を歌うのかもだいたいわかるようになっていました。

客席から島田和夫さんの話が出ました。

会場が悲しい空気に包まれました。

木村さんは、「あいつもあっちで見とるわ、あっちってどっちや」の様な

おどけた返しをしていました。

会場がまた和みました。

本当はとても悲しいはずですが、

ステージに立つこと、お客さんを心から楽しませるという姿勢は

なにがあっても変わらないんだとわかり、感動し、尊敬しました。

ライブが終わり、トイレに行くときに中庭に木村さんがひとりでいました。

わたしから距離は数メートル離れていました。

声をかけようか迷いましたが、なんだか気恥ずかしくてかけませんでした。

帰り道をブラブラ歩いていると、小さな川と橋がありました。

その時に、この光景は何年かしたら思い出すかな、と考えていました。

せっかく天草まで来たので、観光したり

美味しいものを食べたりもしたかったですが、

木村さんはいつもの木村さんで安心したのと長旅の疲れで

コンビニに寄ってそのままゲストハウスへ帰りました。

次の日の朝に、早く大阪に帰りたい!と思い、

またバスに乗り、熊本まで行きました。

道中、海を見ていたら涙がボロボロと流れてきました。

海を眺めながら、イルカウォッチングの看板がたくさんあり、

イイなぁ~、息子としたいなぁと思っていました。

また次の機会に来れたら、絶対しようと思いましたが、

いまだに行けていません。

おわり

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