夢心地のライブ
2011年10月8日㈯ 『第10回橿原夢の森フェスティバル』奈良 橿原神宮森林遊苑
16:30~ 木村充揮 BAND
メンバーは高岡憲治(Dr) 石井孝宏(B) 池田定男(G)
橿原神宮で行われる嬉しい無料イベント、そして木村充揮 BAND!
と、いうことで またまた友達を誘って行きました。
お昼くらいに到着すると、広い敷地でたくさん屋台が出ていて、
メインステージ以外でも、プロレスなど様々なイベントが行われていました。
天気も快晴で、たくさんの人達でにぎわっていました。
友達と屋台をまわって食べたり、ぶらぶらと色んな催しものを見たりしました。
橿原神宮ははじめてでしたので、参拝をしようと向かいました。
広場での活気とは違い、鳥居をくぐる辺りからは静寂で清らかな空気がピーンと張り詰めている感じがしました。スゴイなぁ、さすがだなぁ、と思いました。
木村充揮 BANDのライブがはじまるころには、たくさんの人達がステージ前に集まっていました。
わたしも最前列に陣取りました。
極上の音楽で一瞬で別世界へいってしまう、夕方から夜に変わるあのトワイライトタイムの雰囲気との相乗効果で夢の森で夢心地のライブでした。
気に入った帽子
夢心地のライブですが、これは木村充揮さんのライブ。
お客さんからの要望や、合いの手、ヤジなどはバンバン飛びます。
その中で、ある男性がプレゼントと言って帽子をステージへ投げました。
木村さんはその帽子を一目見て気に入ったようで、被っていた帽子を脱いで
その帽子を被りました。
その帽子はその日から長い間愛用していました。
木村充揮 自伝にもその帽子を被った木村さんが載っています。
後で聞いたときには、あんまりこれといった帽子に出会わないけど、
久しぶりに気に入ったわと言ってました。
その帽子を投げた男性とは何度かライブで会っていたので、帽子のことを聞くと
その男性の友達が帽子職人だそうで、その方が作った、今日も来ているとのことでした。
欲しかったら作ってもらったげるよ、と言われたので紹介していただき、
作ってもらうことになりました。
そして、別の友達は鞄職人だということで鞄も作ってもらえることになりました。
わたしはアフリカへ行ったときに買った布があるので、
その布で帽子と鞄を作ってほしいとお願いしました。
快諾していただきました。その男性は日本の古布の収集家だそうで、
アフリカの布とその男性が収集した布を組み合わせて
とても素敵な帽子と、鞄を作っていただきました。
それは今でも愛用しています。
木村さんにもアフリカの布で作った帽子をプレゼントしたのですが、
それは気に入らなかったのか、一度も被ってもらえませんでした(笑)
無精ひげ
わたしは木村さんの無精ひげが大好きです。
はじめて男唄の映像を観たときから、あごの無精ひげが似合い過ぎて
さわりたい、さわりたいと思っていました。
ライブ後にテント裏へ行きました。
木村さんが「寒いな」と言いました。
ライブの前後とライブ中の木村さんは雰囲気が全然違うことがあります。
お酒が入っていたら一緒ですが(笑)
わたしは、「充揮さん、元気?」と聞きました。3回聞きました。
木村さんは「うん」と言いました。お酒が足りてなくて、人見知りが出ていました。
わたしは、「静かやなぁと思って」と言いました。
「ひげ、触っていいですか?」と聞きました。
「ひげ、あるけど…」と木村さん。
わたしは、手のひらで顎を触りました。ジョリジョリと固かったです。
はじめて会ったときは、首を触らせてもらいました。
男唄の映像で、首の太さがすごくカッコイイと思ったからです。
そのときは、お酒もほどよく入ってたので、
「ん。」と首を差し出してくれました。
木村さんはこねくり回したくなる可愛さがあるので、ついつい触ってしまいます。
木村さんもお酒が入ると急に距離が近くなるので、おあいこかなぁと思っています。
人間はパーソナルスペースがあるので、それを超えられると不快に感じますが、
木村さんの場合は不快感はないです。
たぶんほとんどの人も男女問わず(ファン)嬉しがっていると思います。
人ひとりの力って凄いもんあるから
「人ひとりの力って凄いもんあるから」
木村さんの言葉で、この言葉は今でも忘れられないです。
帽子を渡した男性Kさんが、テント裏へ来ました。
一緒におしゃべりをしているときに、Kさんが明るく、「俺、ステージ4の肺がんやねん」と言いました。
びっくりしました。わたしは言葉が出ませんでした。
木村さんの表情は真剣になりました。とても真摯な口調で、
この言葉を言いました。
「人ひとりの力って凄いもんあるから」
多くを語らずとも、木村さんの気持ちが物凄く伝わりました。
後日談です、
Kさんは酔っぱらうとわたしに電話をしてきました。
長い長い電話でした。酔うとスケベな話をたくさんしてきました。
わたしはそれが嫌でKさんの電話を取らなくなりました。
その後、時々ライブで会いました。そのときは普通におしゃべりをしました。
だんだん、Kさんを見なくなりました。たまに会うKさんとの共通に知人に近状を聞きました。
Kさんは彼女が出来て、その彼女と奈良吉野のほうで同棲をしていると聞きました。
Kさんはさみしくて、彼女がほしいと言っていたので
良かったと思いました。
木村さんも心配しているようでした。時々思い出すとわたしにKさんはどうしている?と聞くことがありました。
「彼女が出来て吉野で同棲しているらしいよ」と言いました。
もう10年以上経っているので、その後はわからないです。
花火
ライブ後のテント裏で、木村さんとわたしとKさんでおしゃべりしていました。
スタッフの方々は撤収などでバタバタされていたので、
少しゆっくり話せました。
Kさんのご病気の話はすぐに終わり、
明るく豪快な感じのKさんは、話を変えました。
Kさんは木村さんに「この子、いつも来てるな」と言いました。
木村さんは「もっと言うたってください」と。
わたしは「次はJANUS(心斎橋JANUS)行くね!」と言いました。
木村さんは「同じことばっかりしてんのに」と2回言いました(笑)
わたしは「会えるのが嬉しいんやん!」と返しました。
Kさんは「いつか木村さんのライブをやりたい。俺の知っている凄く雰囲気の良いバーがある。
高級感あって上品なお店や。そこで、お客さんも少人数で木村さんのライブをやりたい。
やってくれませんか?」と言いました。
木村さんは「うん、また事務所に言うて」と言いました。
わたしは、「わたしも行きたい!」と言いました。
Kさんは「金は俺が全部出す、なんぼでも出す、心配いらん」と言いました。
わたしは「うわぁ~凄い!プライベートライブ!そんなことあるんや」と目はキラキラ✨
心はドキドキワクワクでした。
結局は叶いませんでしたが、夢は広がりました。
そして、Kさんは帰っていき、
二人になったときに、ドーン、ドーンと大きな花火が何発も上がりました。
奇跡的に一緒に花火が見れてとても感激しました。
木村さんは「おお、綺麗やな」と言いました。
イベントの終了です。
木村さんに興味のない(笑)友達は
ひとりでぶらぶらとイベントを楽しんでいました。
花火が終わってから合流して一緒に車で大阪へ帰りました。
道中、わたしの話を楽しそうに聞いてくれて、友達には本当に感謝です。
大満足で帰宅しました。
おわり
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