⑲高野山1000年まつり

ライブ!

木村充揮&内田勘太郎

2011年9月17日 高野山1000年まつり 木村充揮&内田勘太郎

このイベントは急遽出演が決まったものだそうで、当時のファンクラブ会報のライブスケジュールには載っていませんでした。その頃は毎日何回も何回も木村さんのホームページのライブスケジュール欄をチェックしていたので、そこに載っていたのかなと思います。

8月のZEPP東京での坂崎幸之助さん主催のお台場フォーク村デラックスで、

木村さんと勘太郎さんの演奏を初めて観ましたが、

また我が関西、和歌山県高野山で!と知り

行きたい!行きたい!行きたい!と興奮しました。

でもひとりで行くのはさみしいので、箕面に住むお友達を誘いました。

お友達は旅行みたいな距離やわ~と言いながらも一緒に行ってくれました。

南海高野線に乗って、ケーブルカーに乗って高野山へ!

開催地は下車してからどうやって行ったのか?あまり覚えていませんが、

地図を片手に、駅員さん、売店のおばちゃん、タクシーの運転手さんなどに聞いて

ぶらぶらと歩いて行ったと思います。そして、けっこう距離がありました。

主催者さんは?

高野山1000年まつりという大きな名前のイベントなので、

高野山の大きな団体が主催していると思いきや、

若い僧侶さんが主催でした。

場所も何もない広場で、テントなどが張られ、

若い世代や多国籍な雰囲気の屋台が色々出ていました。

インターネットで主催者さんのプロフィールを見てみますと、

沙門JISHO 笑えない(生い立ち)と題されて強い個性を感じます。抜粋しますと、

狂ったように勉強し発狂し血尿を出す、府立大学に入学しハジケテになる、僧侶になる、バンドを結成する、アメリカに渡る、ふて腐れて朝まで飲み歩く、燃え尽きて帰国、高野山にて一代野外音楽イベント主催、倒れて入院、インド音楽のイベントで神の声を聞いて、そのままインドへ放浪、東京へ、本を出版 ”サラスワティーに連れられて インドを旅する”…….それを経て、

2011年、第一回「高野山1000年まつり」主催。

すごいですね!そりゃ”憂歌兄弟”前の木村さんと勘太郎さん”をイベントに呼ぶわ。。。と納得です。

失敗や挫折があれど、こうゆう心のままに生きていく姿はとても素敵ですよね。

開催危ぶまれる

9月で台風が多い時期でした。

台風が来ると、南海高野線は運行停止になることもあります。

大きな台風が来て、橋本駅~紀伊清水駅が不通になり、

その間は臨時のバスが運行して乗客を運ぶという事態でした。

でも、それはイベントの数日前でした。

しかし、連日雨が降ったり、電車が不通になったりで

高野山まで行けるのか?行けるとしても大変では?など不安の声もありました。

でもわたしは行きたい!絶対に行く!と決めてましたので、決行です。

友達と小旅行気分で電車に乗り、そしてケーブルカーに乗車して

ウキウキワクワクしていました。

でも開催地へ着くと、お客さんはまばらでした。

憂歌団の木村充揮&内田勘太郎がゲストのイベントにしては

お客さんは数十人。

大変な思いをされて企画、主催されたのに辛かったのではと思います。

でもこれは台風や電車の運行状況のせいで仕方がありません。高野山は山の上にありますので、電車の運行状況や天気によっては、行くのを躊躇してしまいます。

主催者さんにとっては、お客さんの数は残念だったと思うのですが、

当日開催出来たことは本当に良かったと思います!

そして、手作り感やこだわりのある、とてもアットホームなイベントでした。

12年経ってもわたしの中でとても心に残る一日でした。

主催してくださって、本当に感謝です。ありがとうございました。

ハゲ男!

いよいよ木村充揮&内田勘太郎の出番です。

イベント中も雨が降ったり、曇ったりしていました。

でも!木村さんと勘太郎さんが登場しましたら、

どんよりとした雲が急に動き出して、空がみるみる晴れて行きました。

後に木村さんは強烈な晴れ男だと、何度も目の当たりにしますが、

この日はまだ木村さんを知って日が浅かったので、特に強く印象に残っています。

ライブ中のMCで、勘太郎さんが「高野山に僕のご先祖様のお墓がある、木村君のご先祖様のもあるそう。だから高野山でご縁があって二人でライブしてるのかな」と話していました。うちもご先祖様を高野山で永代供養をしていると祖母から聞いていたので、わたしもご縁があってライブを観に来れたのかなと思いながら楽しみました。

ライブが終わって、木村さんに「晴れ男やね!」というと、

帽子を取って「ハゲ男!」と(笑)

※「ハゲ男」自分で言うたんですよ😀

その後、木村さんと勘太郎さんは別々の車に乗って帰って行きました。

お見送りをしながら、別々の車なんだ、、、と思っていました。

都会っ子

イベントが終了したので、わたし達も帰ることにしました。

でも、辺りがだんだん暗くなり始めました。

会場から駅までのバスはもう無いと言われました。

「えーーーーっ!」どうしようと泣きそうでした。

大阪に住む都会っ子のわたし達は夜中どんなに遅くなろうと帰宅出来ます。

なので、バスやタクシーが無いとか、辺りが電灯もなく真っ暗になるとか想像もしていませんでした。

会場ではどんどん撤去作業が行われていました。

そしたら、軽トラで来ていたKさんという男性が大阪まで送ろうかと申し出てくれました。

Kさんは以前どこかの木村さんライブで会ったことのある人でした。

「お願いします!!!!!」と乗せてもらいました。

「もっと早く言うたろうと思ったんやけどな、軽トラやから二人しか乗れないからどうしようか思ってな。」と言われ、

あ~そうかぁと思いましたが、ぎゅうぎゅうになって三人乗り高野山を下り、駅まで送ってもらいました。本当に有難かったです。

おわり。

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