📸ネットで探して買いました。何度観てもドキドキしました。
2011年5月に初めて木村充揮さんを知り、6月にライブへ行くまでのことを書きました。一ヶ月間、心はジェットコースターの様に浮き沈みしました。
出会いはユーチューブ
2011年5月 ユーチューブというものを知って間もなかったと思います。
興味のあるものを検索しては動画を観ていました。
あるとき、右横のおすすめに近藤房之助さんの画像で‘’酒と泪と男と女‘’ が表示されました。
(その映像は上記の”男唄 THE 歌謡SHOW 木村充揮×近藤房之助に収録されています。)
近藤房之助さんと言えば、
ちびまる子ちゃんの♪タッタタラリタ
ぴーひゃらぴーひゃら♪が有名で、
男前ですし、歌もうまい。
”酒と泪と男と女”は河島英五さん。
この歌も大好きでしたので、
聴きたい!と、
クリックして動画を観ました。
ワクワクして再生し、
てっきり房之助さんが唄うと思ったら、
左横の全然知らない人が唄いだしました。
木村充揮を初めて知った瞬間
一瞬、へ??誰この人??凄い風貌…
と思ったんですが、
次の瞬間には
惚れてました。
一呼吸置いた、一目惚れでした。
何に惚れたんだろう?
風貌なのか歌声なのか、表情?
滲み出てる何か?
わかりません。
言葉に出来るものでは無かったです。
覚えているのは、何度も何十回も
衝撃と電流が走ったことです。
そして、こんなカッコイイ人が居たんだ!と
心底思いました。
📸このジャケほんとカッコイイ!!!
わたしが何とかしなければ!
わたしのホント勝手な勘違いで、
今となってはとても恥ずかしいことですが、
木村さんはスゴイ才能があるけど、
世間にはあまり知られていなくて、
この凄さをわたしが広めなきゃ!
と思ったんです。
木村さんはライブの人で、わたしはそれまではライブに行ったこともなく、
年代も違うので、憂歌団がTVに出ていたころは、
わたしはわたしの私生活に夢中でした。
凄いものを発見したときに、みんなに言いたくなる気持ちの強い版のように
この人の事を広めなきゃ!と熱くなりましたが、
でも後にそれはアホな勘違いと知りました。
ある年代以上の人達はみんな知ってるやん!!!
映像をよく観ると、房之助さんが木村さんをすごくリスペクトしています。あとから思えばその雰囲気からも察しれたはず。年齢は木村さんが年下ですが、先輩なんですね。
📸このアルバムも何度も何度も聴きました。このブックレットはカッコイイ写真がたくさん!
”あつき”って読むんだ
まず、名前の読み方がわかりませんでした。
‘’木村充揮”…”あつき”って読むんだ。
”憂歌団”…聞いたことあるけど、知らない。
ユーチューブでどんどん観ました。
TSUTAYAでCDをあるだけ借りました。
ライナーノーツ(解説書)を読みました。
木村さんは結婚していて、
お子さんもいると載ってました。
すぐに失恋しました(笑)
📸買ったり、借りたり、もらったり。ビデオテープやDVDなどもネットで買いました!
ライブに行こう!
会いたくなりました。
ライブに行こうと調べました。
一か月後の6月にライブがある!7月もある!
行こうと決心しました。
コンサートなどは行ったことあるけど、
ライブハウスなんて初めて。
ドキドキしました。
ライブまでの一か月間、
毎日毎日、何時間も何時間も、
木村さんと憂歌団の動画を観ました。
カラカラに乾いたスポンジがたっぷりの水を吸うように
心身に木村さんの唄が沁みていきました。
でも動画を観過ぎて、目や体が痛かった。
-21kgダイエット
わたしは食べるのが大好きで、太りやすいです。
その頃体重はMAXでした。
いつか木村さんとおしゃべりする日がくるかもしれない。
その時のためにダイエットをしなければ!と
ダイエットをはじめました。
📸毎日一日中聴きまくってました♪
毎日ユーチューブを観まくり、目が疲れ、
身体中痛いし、
これではダメだと、ウォークマンを買い
木村さんと憂歌団の曲を入れて
ウォーキングをはじめました。
ライブまでに少しでも痩せなきゃと
気合は十分。
3~4か月で-21kg減らしました。
でも、このダイエットは運動はしていましたが、
食事を減らし過ぎて、痩せたというより
やつれた感じ。
リバウンドもして。あららという感じです。
数年後にまた-20kgダイエットをすることになりました。
ダイエットはちゃんと勉強してやらないとダメですね。
”木村充揮さんと友達になりたい!”
ライブまでの一か月間、
とにかくソワソワしていて、
何かしなきゃ!という
衝動に駆られていました。
📸当初はアップルと名乗っていたので(ネット上)その当時を知っている方からはいまだにアップルと呼ばれます。
気持ちのはけ口と、情報を得たい思いから、
GREEというSNSを始めました。
”アップル”というハンドルネームでした。
そこには”木村充揮さんと友達になりたい!”と掲げ、
「わたしは憂歌団を知らないので、昔からのファンの人と繋がりたいです」
と書いていました。
ブルースもよくわからないですが、
憂歌団=ブルース
と、よく目にしたのでブルースのグループにも入りました。
そしたら、憂歌団のファンの人達や
ブルース好きな人たちから
ぽちぽちとコメントを頂くようになりました。
憂歌団の昔のライブの話を聞かせてくれたり、
一緒にライブへ行ってくれたり、
憂歌団が出演していたTVを録画したものを
貸してくれたり、
繋がりが出来ました。
そして、その中で知り合ったKさんとの会話で
「会えるうちに会いに行く」という言葉に
そうだ!と後押しされ、ライブ通いが始まりました。
記憶に残る人になる
”木村さんと友達になりたい!”という
大それた夢を掲げましたが、
友達って表現も違うかな…と思い、
”木村さんの記憶に残る人になる!”
と心に決めました。
それは叶ったと思います。
でも記憶に残る人になるために
グイグイ行くのではなく、
愛情と尊敬と
ある程度の常識と、
マナーは守ったつもりです。
📸一枚買って家と車で聴いてたら失くしてしまい、二枚目を買いました。
花と手紙を持って
記憶に残る人になるには、どうしたらいいのかなと考えました。
ずっとライブに行く
でもそれだけでは満足出来ないと。
思いついたのは、手紙です。
まずは自己紹介とあいさつの手紙を書いて、
お花を持ってライブに行きました。
手紙(ファンレター)は
おしゃべりが出来るようになるまで何通も書きました。
木村さんとちゃんとおしゃべり出来るようになるまで、
おおよそ4年はかかりました。
理由はまた書こうと思いますが、
ひとつ大きな理由は、
お互いに人見知りのせいだと
思います。
おわり
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