蕁麻疹
オーストラリアから帰えると、
蕁麻疹が出始めました。
仕事、子育て、家事、ライブ…
若さに任せてあれもこれもやりました。
オーストラリアでゆっくりしたので、
その疲れが出たのかもしれません。
蕁麻疹は半年くらい続きました。
夏ころから徐々にまた立て続けにライブへ
2015年5月3日 生野区の飲み屋で 木村さんと会う
2015年6月7日 木村充揮ソロライブ 八尾シュガーベイブ
2015年6月10,11日 木村充揮ソロライブ music bar S.O.R.a
2015年6月20日㈯ 憂歌団 木村充揮ソロライブ 明日香 橘寺 ”仏か木村か”
2015年6月21日㈰ 和歌山 木村充揮 LIVE YEBISU BAR とうせん房
この頃、「木村さんはダイソン掃除機よりも吸引力が凄い!」と冗談で言ってました。
反省し転機になったライブ
2015年6月21日㈰ 木村充揮 LIVE YEBISU BAR とうせん房 天使のダミ声ヴォーカル
年に2回和歌山田辺オレンチで開催されるライブが、今回は違う場所で開催されました。
このとき、わたしの車の調子が悪くて行けないかもしれないと不安でしたが、
何とかなるだろうと出発しました。
でも、高速道路で白い煙を吐き、スピードも出ず、
エンジンが停止してしまうのでは??という感じでした。
無事に到着すると、田辺オレンチのマスターのまらきんさんが
「この車、大丈夫ですか?」と。
さすがにわたしも不安になり、どこか車を直してくれるところはないか?と
聞きました。
ガソリンスタンドを教えてもらい、行きました。
店員さんがとりあえず大阪まで帰れるくらいにはしますと言ってくれ、
応急処置をしてくれました。
ちょっと安心してライブ会場へ戻りました。
まらきんさんにお礼を言い、
「今日は田辺オレンチじゃなくてここなんですね」と言ったら
「ここの奥さんが木村さんのファンでぜひうちのお店でライブをしたいと言うので、今回はここになった。」と教えてくれました。
わたしは凄く悔しい気持ちになりました。
なぜかというと、わたしは2~3年前に木村さんのライブを主催したいと事務所に依頼しましたが、
一般の方の依頼はお断りとお返事をいただいていました。
なので、諦めていました。
羨ましいやら、悔しいやらで心がモヤモヤしていました。
でも、ここの奥様はじめ、皆さんがとても優しくしてくださいました。
大阪から来たということを知ると、まぁ遠いところからと言い、
一番前の真ん中の席に座りなさいと案内してくださいました。
わたしは他のライブでもいつも一番前に座るので、
遠慮したのですが、どうぞどうぞと言ってくださり、
お言葉に甘えて座りました。
そして、とても親切にしていただいて
さっきまでモヤモヤしていたことを恥ずかしく思い反省しました。
ライブが終わり、大阪まで帰れるくらいに応急処置をしてもらったわたしの車ですが、
走行していると、とても大きな音がずっと鳴っていました。
車のことはよくわからないですが、とりあえず走るので、
このまま大阪まで帰ろうと走らせていました。
ふと、ガソリンのメーターを見ると、ガソリンが無い!
満タンに入れたのに、なぜ???
と、焦りました。
高速道路から降りて、ガソリンスタンドを探しました。
でも、田舎の夜23時過ぎにガソリンスタンドは空いてませんでした。
めちゃくちゃ焦りました。
下道を走っても真っ暗。
どうしよう、ここで止まったら。。。。
と、不安な中、やっと先にコンビニを見つけました。
でも、車はその200m手前くらいでガス欠で止まってしまいました。
コンビニに入り、飲み物を買ってしばし落ち着きを取り戻すまで数分。
JAFに電話をしました。
でも、わたしはJAFの会員ではなかったし、現金もそんなに持っていませんでした。
到着まで1時間位かかると言われ、待ちました。
JAFが到着して、お兄さんが車から降りてきたとき
ヒーローに見えました!
そして、聞くとクレジットカードも使えるし、家まで送ってくれるとのこと。
もう最高のヒーローに見えました。
その日は、木村さんよりもヒーローに感じました(笑)
おわり
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