木村さんのソロライブを初主催
2015年9月24日 堺百舌鳥 BAR サムズダイス
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いよいよ、私が主催して木村さんのソロライブをする日が来ました。
ライブの日程が決まったのが、1ヶ月前でした。
まず、場所です。
大きなライブハウスを借りるのではなく、
30人位の少人数でライブをしてもらいたいと思い、
友達に相談して、最寄り駅のすぐそばにある小さなBarに行きました。
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マスターに、「憂歌団の木村さんは知ってますか?」と聞くと
「もちろん!」と。
「ライブをさせてくれるところを探しているんですが、ここはさせてもらえますか?」と聞くと
「喜んで!」と快諾していただけました。
マスターはご自身も音楽をされていて、憂歌団ライブにも行ったことがあり、
お店でも音楽イベントをされていました。
なので、機材のことなど全くわからないわたしは、
セッティングはマスターにお任せして、わたしは集客やチラシ、チケット作りをしました。
役割分担が決まり、わたしはマスターと”Team Kimura”を結成しました。
当日お手伝いをしてくれる友達も決まり、その日が来るのをドキドキしながら過ごしました。
ライブが成功するように、近くの神社や仁徳天皇陵へお参りもしました。
やっと夢が叶う日が来る!と、毎日毎日ライブのことを考えていました。
ある日、駅へ向かう公園から見上げた空に大きなダブル・レインボーが架かりました。
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天からも応援されているようで、とても嬉しかったです。
後からマスターに聞くと、「本当にライブをしてくれるのか、当日まで信じられなかった。」と言ってました。
それくらい特別な気持ちでした。
ライブ前に
ライブ開催前に、木村さんにお願いをして一度そのBarに飲みに来てもらいました。
JRに乗って木村さんは来てくれました。
わたしは、木村さんのことを知っているようであまり知らないので、
ライブのイメージから、ちゃんと電車に乗れるんだろうか? 乗り換え出来るんだろうか?
途中で誘拐されないだろうか?(ファンの人にどこかへ誘われてという意味です😅)
約束の時間に改札口で待っている間にそんなことばかり考えてソワソワしていました。
電車が来て、どんどん人が降りてきます。木村さんは見当たらず、次の電車かなと思っていたら
一番後ろの車両から最後に降りてきました。
わたしはもうドキドキして、嬉しいやら緊張やらで興奮していました。
来てくれたこと、無事に会えたことに感謝しました。
木村さんは、もちろんですがシラフでした。
と、いうことは人見知り発動状態です。
わたしは、あ….そうやったと思い出していました。
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木村さんは、天王寺で乗り換えて各駅停車で来たと言いました。
昔、家族で阪和線沿線に住んでいたそうで、全部の駅名をスラスラと言っていました。
各駅停車で来たのも、一番後ろの車両から一番最後に出てきたのも
木村さんらしいなぁ~と思いました。
失敗したサプライズ
わたしはちょっと調子に乗っていたのかもしれません。
その日、マスターには木村さんが飲みに来ることは言ってませんでした。
マスターを驚かそうと思ったのです。
お店は改札口を出てすぐのところにあります。
ふと見るとお店は開いてません。
わたしは定休日?!と、焦りました。
友達に連絡して、開いてない、どうしようと言うと、
たぶん20時からちゃうかなとのこと。
待ち合わせ時間は19時でした。
木村さんにあやまり、マスターにも木村さんが来ること言ってなくて….と、言うと
木村さんはえ?!と、顔をしかめました。
まだお酒が入ってないので、冗談もあまり通じない状態でした。
お店の向かいのコンビニでタバコを吸いながらお店が開くのを待ちました。
そこへ開店準備をするマスターがお店に入っていくのが見えました。
わたしは急いで、お店に行き「木村さんと来たの。入ってもいいですか?」と聞くと、
マスターが「やっぱりあのシルエットは木村さんやったんや!」と
窓からわたしたちが見えていたそうです。
無事にお店に入いることができ、ホッとしました。
でも、またプチ問題が…
マスターも少々人見知りで、まして木村さんが目の前に座っているので緊張して
お堅い空気が漂っていました。
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はじめはお互いにポツポツとおしゃべりをしていましたが、
お酒が進むにつれて、いつもの木村さんの調子になりました。
入店したお客さんが、「えーっ!!木村さん?!」と驚いたり、
少しの間、普通に飲んでいたのに喋り声で木村さんとわかり驚くお客さんも居て、
小さな店内はワイワイと盛り上がりました。
怒られる
ひとしきり盛り上がり、木村さんは帰ることになりました。
わたしは天王寺まで電車で送ると言いました。
木村さんは「いらん、いらん。ひとりで帰れる」と言いました。
わたしは食い下がり、「送りたい」と言うと、
木村さんは「もうええって!」とちょっと怒って言いました。
そして、わたしは「わかった。ありがとう。」と言って見送りました。
ちょっとわがままが過ぎたなかと反省しました。
普段はほとんどわがままを言いませんが、この時は言いました。
怒られて少しショックでした。
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でも、木村さんはここまで来てくれて楽しい時間を過ごしてくれました。
木村さんにとっては人見知りや色々で、凄くエネルギーを使ったのだと思いました。
解放されて、ホッとしたかったと思います。
それがそこまでわかった理由は、後日木村さんの古い友人にこのことを話したら、
「堺までひとりで行った?!それは凄いことやで!」と言ってもらえたからです。
わたしは木村さんのライブへ地方も含めてあちこち行っているので、
堺まで来ることがそんなに凄いこととは思わなかったのですが、
木村さんにとっては、大変なことだったんだと知り感謝が深まりました。
木村さんを見送ったあとに、Barに戻りました。
マスターは「今、ここに木村さん居てたんや….」と夢か誠か信じられない様子でした。
木村さんが居た空気が濃くずっと漂っていました。
後日しばらくは、駅のホームにも木村さんの存在が漂っていました。
ライブ当日
ライブ当日も準備で大忙しでした。
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マスターはお店の準備、
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わたしと友達は店内を飾りつけし、
お客さんを迎える準備。
時間になり、木村さんを迎えに行きました。
マスターは木村さんとサウンドチェック。
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マスターもあれこれ色々と考えてセッティングをしてくれていましたが、
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初めてのライブでしたのでお互いの摺り合わせを丁寧にしていました。
でも、時間は短くある程度わかったら、「はい、大丈夫」と終わり。
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木村さんは本当にプロフェッショナルで、機材や環境のせいにはしませんでした。
(マイクスタンドのネジが緩むハプニング)
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どんな環境でも最高のライブをされるということを目の前で見せてくれました。
その力は本当に素晴らしいものでした。
サウンドチェックを終えて赤提灯🏮のお店へ行きました。
軽く飲んで、おしゃべりをして。
わたしは木村さんとお店に居ることも嬉しかったですが、
Barにライブのお客さんがもう今か今かと待っていると思うと
またソワソワドキドキしていました。
早く行きましょう、みんなが待ってると言いましたが、
木村さんはとてもリラックスして、時間ギリギリまでゆっくりしてました。
あ~海千山千やってこられた人は違うなぁ….と思いました。
普段の人見知りは何処へ???というくらいに木村さん流プロフェッショナルでした。
いよいよライブ
この日のお客さんはわたしの家族、友達、ライブで知り合ったライブ仲間など
マスターの音楽仲間、Barのお客さんなどでした。
気心しれた人達なので、濃い時間になりました。
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わたしは紙吹雪やクラッカー🎉など用意して、
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ある歌のタイミングで”歓喜の気持ちを表す紙吹雪”を毎回しました♪
主催者ですが、最前列に座り、
普段のライブではヤジや掛け声など出来ないタイプですが、
この日はコール&レスポンスを楽しみました。
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ライブ後には、わたしの誕生日が近いということで
誕生日ケーキ🎂のサプライズもあり、
笑顔満開の心に残る一日でした。
なぜライブを?
このライブを機に、その後ドンドン木村さんのライブを主催しました。
なぜ、ライブを主催したいのか?
シンプルに”木村さんと一緒に何かしたい”という気持ちでした。
木村さんのライブに参加する受け身の状態だけでなく、
循環する関係で居たいと思いました。
一緒に楽しい時間を生み出していきたい気持ちでした。
いちファンで、ド素人のわたしでしたが、気持ちだけでここまで来ました。
それを受け止めてくださった木村さん。
今、思い出せば至らないこともたくさんありましたが、
その中で最高のライブをしてくださいました。
全てパーフェクトに揃った環境でするライブは、何千回とされているので、
ド素人ながらもこの頃のわたしの情熱や気持ちを
楽しんで面白がって応えてくれた気がします。
木村さんはわたしの主催するライブはOKしてくれましたが、
いちファンのわたしが主催しているから、
自分もお願いしたいとわたしに言ってきはる方のライブは
OKしませんでした。
はじめ、わたしはなぜOKしてくれないのか?
わかりませんでした。木村さんが理由を言わないからでした。
木村さんはペラペラと理論立てて喋りません。
こちらが察しなければいけないことがたくさんありました。
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少しずつわかってきたのは、わたしの行動、気持ち、情熱に応えてくれたということでした。
その後、数年間で二か所だけ、
わたしを通してライブをしてくださいました。
わたしはその二か所の方と何度も話し合い、本気度や気持ちを確認しました。
そして、わたしなりに納得してぜひ一緒にこの方たちとライブを主催したいとなったときに
木村さんに伝えました。
それでも、木村さんがOKしてくださるのに2~3年かかりました。
その方たちは真摯な気持ちで待っていると言ってくださり
そして実現しました。
おわり
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