英子姉ちゃん

ライブ以外

ご冥福をお祈りいたします。

木村さんのお姉ちゃん、英子姉ちゃんが天国へ行きました。

木村さんが大好きだったお姉ちゃん。

お姉ちゃんも木村さんが大好きで、

ふたりで寄り添う姿が今も目に浮かびます。

「うちはこの子が大好きやねん!!!」といつも言っていたお姉ちゃん。

ニコニコ嬉しそうに笑う木村さん。

木村さんとご飯を食べに行く機会があるときには、

いつも英子姉ちゃんにも声をかけていた木村さん。

はじめてわたしもご一緒したときにも、

いっぱい話しかけてくれて、笑わせてくれて、楽しませてくれました。

「あんた~、いつもひでまんの(応援)ありがとうな!」と、言ってくれてました。

ひでまん(英子姉ちゃんが木村さんを呼ぶときはひでまんと言います。本名の秀勝とウルトラマンを掛け合わせた家族のあだ名です)

身内びいきな英子姉ちゃん。

本当に魅力的な人でした。

英子姉ちゃんとの思い出

はじめて会ったのは、高津宮とんど祭りでした。

木村さんがライブで英子姉ちゃんの話をしたり、

憂歌団や木村充揮自伝などにも登場していたので、

わたしは会いたくて会いたくて、

高津宮とんど祭りで見つけたときには、すぐに挨拶しに行きました。

ファンの人に慣れている様子だったお姉ちゃん。

わたしの声かけにも、「ありがとうな!ありがとうな!」と

対応してくれました。

そこから、だんだんと会うたびにお話しをしたり、

写真を撮ったりして、

覚えてもらえました。

英子姉ちゃんの色んなものを超えてくる抜群の魅力に

わたしはどんどん魅了されていました。

たとえば、木村さんと英子姉ちゃんを含めた何人かでお食事をしても、

一番盛り上げるのは英子姉ちゃんでした。

もう何度も何度も腹の底から大笑いさせてもらって

食事が終わって帰るころには、

チケット料を支払いたくなるような気持ちになりました。

木村さんは、英子姉ちゃんといるときは「弟」でした。

カワイイ弟君💕

英子姉ちゃんのトークが炸裂していると、

話の邪魔はせず、

「姉ちゃん、しゃべってるから」と、

ニコニコ聞いてはりました。

木村さんメインの食事会ですと、木村さんが主役で一番よくおしゃべりしますが、

英子姉ちゃんがいると、もっとパワフルで面白くて凄かったです。

食事会の機会があると、英子姉ちゃん来ないかなぁと待っている自分がいました。

一度、木村さんの息子さんのライブに

英子姉ちゃんとふたりで行ったことがあります。

息子さんには内緒で、そーっと行きましたがすぐにバレました。

息子さんのことは、「とっしゃん、とっしゃん(息子さんの名前の俊章さんからの家族のあだ名)と呼んで可愛がられていました。

「うちが若かったらこの子(俊章さん)と結婚してるわ!ほんま優しいええ子やねん!」と、英子姉ちゃん。

「うちが若かったらこの子(木村さん)のマネージャーやってるわ!!」

など、とにかくパワフルでした。

そんな、パワフルで魅力的な英子姉ちゃんが大好きでした。

一度、何人かで食事会をしているとき

わたしが席を外して、戻って来たときに不穏な空気が流れていました。

その中のひとりの女性が、わたしが居ることが嫌だと言い出したそうで、

それを聞いた英子姉ちゃんが、

「嫌やったらアンタが帰り!」と一喝。

そして、わたしが戻ったときにその女性が

「わたしは帰ります!二度と来ません!」と言って帰りました。

以前からわたしを目の敵にしていた女性なので、わたしは心のなかでガッツポーズをして

『よかった~、二度と来ないって』と、喜んだのを覚えています。

そして、その女性が帰ったあと

木村さんと英子姉ちゃんとわたしの三人で

木村さんの親戚のお店へ行き、カラオケをして楽しみました。

その女性はというと、二度と来ないと言いながらも、次の機会にはちゃっかり戻ってきていました。

そして、わたしへの攻撃はその後も続きました。

でも、あの時は英子姉ちゃんのおかげで、スッキリ✨しました。

オシャレとキムチ

わたしが、

木村充揮 meets アフリカンリズムのライブを主催したとき

いつも英子姉ちゃんは来てくれました。

ある時、大きなタッパーにいっぱい入ったキムチを持って来てくれました。

わたしは本当に嬉しくて嬉しくて、ありがたく頂きました。

「お姉ちゃんが作ったの??」と聞くと、

「作るかいな、買うたんや!」と。

ワハハと笑い合いました。

キムチ美味しかった。そして、そのタッパーは今でも家で使っています。

タッパーを使うたびに、英子姉ちゃんを思い出しています✨

アフリカンだけのライブに木村さんと英子姉ちゃんが来てくれました。

前に「うち、ドラム好きやねん。ドラマーなりたかったんや!」と言っていたことを

覚えていて、

英子姉ちゃんに聴いてほしい!と、お誘いしました。

そしたら、木村さんと英子姉ちゃんが来てくれました。

嬉しくて感激でした。

英子姉ちゃんはオシャレをして来てくれたのを覚えています。

それもとても嬉しかったです。

さみしいです

英子姉ちゃんが亡くなったと知ったキッカケは、

数年前からSNSを中断していたわたしに、

木村さんのファンの女性で仲良くさせていただいてた方から

久しぶりにメールが来たからです。

お互いの近状をやり取りした後に、

木村さんの息子さんのSNSに「可愛がってくれたおばさんが亡くなった」と載っているけど、

木村さんのお姉さん?と聞かれました。

わたしは、まさか?!と驚きました。

その1~2か月前に、木村さんの後輩さんに食事に誘われて

用事があり行けなかったのですが、後から聞いたら

木村さんと英子姉ちゃんも来て楽しかったと聞いていたからです。

しばらく木村さんと離れていたわたしは、

直接連絡を取ることをためらい、

その後輩さんに連絡をしました。

後輩さんも驚かれ、まさか?!という感じで、

木村さんに連絡をしてみると言いました。

後輩さんは10代の頃から木村さんと木村さんのご家族とお付き合いがあったので、

とても気持ちが重いよ…と言ってました。

そして、わたしはその連絡を待ちました。

「やはり、お姉さんだった」と連絡がありました。

信じられませんでした。

後輩さんも信じられない様子でした。

1~2か月前に、一緒に焼肉を食べお酒も飲んで、元気だったのにと。

わたしも、まさかあんな元気でパワフルで魅力的なお姉ちゃんがと信じられませんでした。

なんで、誘われたときに会いに行かなかったのかと後悔しました。

少しして、

木村さんにお悔やみの電話をしました。

涙が出ました。

数年ぶりに木村さんの声を聞いて、

とても優しくて。

英子姉ちゃんのことを聞き、

英子姉ちゃんらしいなぁと思いました。

巡り巡って、

英子姉ちゃんのことを知れてよかったです。

木村さんファンの女性にはとても感謝しています。

木村さんに、

「英子姉ちゃんには、いっぱい楽しませてもらった」と言うと

「わぁ、喜んでるわ!」と言ってもらえました。

さみしいけど、

英子姉ちゃんのことはずっと忘れません。

ありがとうございました。

続く訃報

今年に入って、

木村さんのまわりの大事な人たちが何人も天国へ行かれました。

ひでまろさん

憂歌団の元名物マネージャー

わたしはそれ以外の、ひでまろさんのご活躍はあまり知りませんが、

友達がひでまろさんの歌をカバーして歌ってくれたときに

その歌をとても気に入って、

あれ歌って~!と何度もお願いして歌ってもらってました。

木村さんのお誕生日会の司会をされていたときは

とてもお元気で、小柄な方でしたがオシャレで、

誕生日会を恥ずかしがる木村さんを

面白おかしく呼び寄せ、

昔のオモシロイ話をしてくれたり、楽しい時間でした。

花岡献治さん

ライブで何回かお会いして、

打ち上げで少しお話をしたくらいですが、

そのお話はとても面白くて

大阪のお兄ちゃん!という感じで楽しかったです。

印象に残っているお話は、

「憂歌団の名前が大き過ぎてな」

「お好み焼き食べたい(九州在住でしたので)」

「木村とは小学二年生からや、はじめて会ったとき運動場で

パンを加えた木村がピューって走って来て、それが出会いや」

木村さんからは、

「花岡は美智子妃殿下のファンでな、こないだ会ったときよろこんでたわ」と。

憂歌団の最高のベーシスト

ご冥福をお祈りいたします。

ドカチンさん

わたしが、木村くんと有山くん meets アフリカンリズム

木村充揮 meets アフリカンリズムのライブを主催するときに

チラシの写真をいつも無料で提供してくださいました。

ライブで儲かったらでええで!と

いつも言ってくださり、

ライブでもたくさん写真を撮っていただきました。

気さくなお兄さんで、

心地良い空気感をまとっておられたので、

わたしも緊張することなく

いることができました。

コロナ禍で、2020年開催予定だったライブが中止になり、いまだにリベンジが出来ていません。

リベンジライブ

2020年に開催予定だった

木村充揮 meets アフリカンリズム

木村くんと有山くん meets アフリカンリズム

は、コロナ禍で中止になり

いまだにリベンジが出来ていません。

この数年、わたしは木村さんから離れていたこともあり、

もうこのライブはすることはないと思っていました。

英子姉ちゃんが亡くなられたことをキッカケに、

木村さんに連絡を取りました。

わたしからの連絡を木村さんは喜んでくれたと感じました。

勝手に離れて、もう前みたいには接してくれないかもしれないと思っていましたが、

思いがけず、深い慈愛のある声で接してくれました。

英子姉ちゃんのことと、木村さんの声で涙が出ました。

そのときは、お悔やみの言葉をお伝えして、

また会う日までお互いに元気でいようねと言い合いました。

それから、少し日が経ち、行く先や、ラジオから流れてくる曲たちが

柔らかく耳に入ってきました。

そして、木村さんが浮かんできます。

ライブに通っていた頃に木村さん歌っていた曲たちでした。

わたしは、あ~もう終わったと思っていたけど

なんだかふつふつと気持ちが揺れてきてる。

また木村さんと一緒に何かしたい、しようよと心が動き出しているのに気付きました。

そこから、どうしようかと自問自答しました。

自分の心の気持ちがつかめたときに

もしかしたら、ダメかもしれないけどと不安もわきましたが、

エイッと連絡しました。

電話口からまたまた思いがけず、深い慈愛の声が聞こえました。

心底ほっとしました。

そして、秋ごろにもう一度一緒にライブをすることになりました。

まずは小さな規模でします。

そして、

2020年に中止になった

アフリカンリズムを来年出来るようにと、目標が出来ました。

このことはまだ木村さんには話していません。

自分でも現実的に本当に出来るのか確信が持てていません。

やりたい気持ちはありますが、

本当に準備が大変です。

2020年も必死で準備をしました。

それを、それ以上のことをもう一度出来るのか。

きっと出来ると思いますが、

消耗せずに出来るだろうか?

まだ覚悟が決まっていません。

秋に木村さんと会って

一緒にして、もっともっとエネルギーが高まって循環すると確信出来たら

やろう!となると思います。

前回、あまりにも消耗が激しかったので

まだ覚悟は決まっていませんが、

もしやることになれば、

全力で挑みます。

そして、

どこよりも愛情と気持ちの入ったライブをお届けします。

もう一度木村さんと繋がるキッカケになった英子姉ちゃん、

毎回素敵な写真を提供してくださったドカチンさんへの

感謝の気持ちも込めて。

来年リベンジが出来ますように!!!!!

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